こんにちは、antakaです!
今日は、毎日新聞が富山県での新聞配送をやめるっていうビッグニュースと、新聞が日本でどうやって始まったのかについてお話しします。
ちょっと歴史にタイムスリップしながら、これからの新聞についても考えてみましょう。
配送休止のワケ
毎日新聞が、2024年9月末で富山県内の新聞配送をストップすると発表しました。
これは、全国でも初めてのことだそうです。
なぜそんなことになったのかというと、新聞を印刷するコストや運ぶための費用がどんどん高くなってるし、富山県では新聞を買う人が減ってきてるらしいです。
富山の人たちへの影響
じゃあ、富山の人たちはどうなるの?
って思いますよね。
実は、郵送で新聞を受け取ることはできるんです。
でも、それだと届くのは翌日以降になっちゃうから、朝の新鮮なニュースを読むことは難しくなるかも。
それに、特に高齢の方やインターネットを使わない人たちにはちょっと不便ですよね。
毎日新聞のこれから
毎日新聞は富山での取材は続けるって言ってます。
だから、富山のニュースはデジタルや全国版で発信され続けるんです。
「これからも富山のニュースを全国に届けるよ!」っていう心強いメッセージも出してます。
新聞業界全体へのインパクト
この富山での配送休止は、他の新聞社にも影響を与えるかもしれません。
新聞の発行部数が全国的に減ってるし、経営も大変ですからね。
これからはデジタル化が進んで、オンラインでのニュース提供がもっと重要になるでしょう。
それでは、なくなってしまいそうな新聞、この新聞の歴史について話していきます。
新聞ってどうやって始まったの?
江戸時代の瓦版(かわらばん)
日本で最初の新聞っぽいものは、江戸時代にあった「瓦版」っていうニュースシートです。
大事件や災害が起こると、それを知らせるために木版印刷で作られて、街中で売られていました。
幕末の新聞
幕末(江戸時代の終わり)には、外国からの影響で本格的な新聞が登場しました。
1854年の開国以降、1861年には長崎で「ザ・ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー」っていう英字新聞が創刊されました。
これが日本で初めての近代的な新聞です。
明治時代の新聞の発展
日本初の本格的な日本語新聞
これが、日本初の定期刊行される日本語新聞です。
新聞の急速な普及
明治時代には、政府が新聞発行を奨励したこともあって、新聞社が次々と生まれました。
「東京日日新聞」(1874年創刊、後の「毎日新聞」)や「読売新聞」(1875年創刊)、「朝日新聞」(1879年創刊)などがその代表です。
新聞が始まった理由
情報の必要性
開国以降、急速な近代化が進む中で、政治や社会、経済の情報を広く国民に伝える必要がありました。
新聞はそのための重要な手段でした。
印刷技術の導入
西洋から導入された活版印刷技術が、日本での新聞発行を後押ししました。
大量の情報を迅速に印刷・配布できるようになったのです。
市民意識の向上
明治政府は、国民の教育水準を向上させることを目指しました。
新聞は、一般市民に最新の情報を提供し、社会的な意識を高めるための有力な媒体となりました。
新聞の価値とデジタル化の重要性
今回の出来事に対して、「新聞の価値は深掘りした特集記事や信頼性の高い情報にあり、デジタル化により新たな価値を見出すべき」というコメントが見られました。
この視点は非常に重要です。
現代の新聞は、単にニュースを伝えるだけでなく、背景や分析を含めた深掘りした記事を提供することで、読者に深い理解を促します。
デジタル化は、これらの価値を新たな形で提供するための重要な手段となります。
オンラインプラットフォームを通じて、新聞はより迅速に、より広範な読者に情報を届けることができます。
また、デジタル媒体では、読者が興味を持つテーマに関する追加情報や関連コンテンツに簡単にアクセスできる利点もあります。
最後に
毎日新聞が富山県での新聞配送を休止するっていうニュースは、地域の人たちにとって大きな変化です。
でも、新聞業界全体が今まさに大きな転換期にいることも感じさせられます。
歴史を振り返ると、新聞がどれだけ大事な役割を果たしてきたかがわかりますよね。
これからも、私たちは新しい情報の取り方を模索していく必要があります。
ご覧いただきありがとうございました。🌸